神さまのお話  (9)

ミケランジェロが描いた「最後の審判」  ただいまは、たくさんな方が、だいぶ年をとって、ずっと寝たきりの老人もおられますが、老人たちもひじょうに役にたつ方と、わたしはおもっております。一番の人の目から見れば、老人はいったんうごけなくなりましたら、そしてなおるみこみもありませんから、役にたたない人間だとおもっておりますけれども、神さまの目からみればそうではありません。
 イエズス・キリストさまも、ご承知のように、最後に十字架にはりつけられました。しかし、その十字架にはりつけられた三時間は、イエズスさまは、ひとつも動くことができませんでした。けれどもイエズス・キリストさまは、じぶんの苦しみを全世界の人の霊魂のたすかりのためにおささげになりました。すべての人の罪のあがないをなさいました。私どもも、イエズス・キリストさまの子供だから、イエズス・キリストの弟子ですから、イエズス・キリストのなさったように、私どもも、同じくしなければなりません。
 もし、たとえば、寝たきりのおかたで、ベットにはりつけにされているなら、そういうかたは、イエズス・キリストさまによくにています。イエズスさまが十字架にはりつけにされたように、ベットにはりつけられているかたの数は少なくありません。そういう方々が、ずっと毎日、天のおん父にじぶんの苦しみをおささげになりましたら、おおぜいの人の罪のつぐのいができるとおもいます。じぶんのおかした罪のつぐのいはもちろん、他人のおかした罪のつぐのいもはたすことができるのです。

 私ども人間は、死んでから直ちに、その死んだ場所でさばきがございます。あるかたは、死ぬ時に審かれてからすぐに神さまのうつくしい天国に行って、完全な幸福をあたえられます。
 また、もし神さまにそむきながら、その罪のゆるしをおねがいせずに、罪のつぐのいもはたさずに死んでしまいましたら、そういう人は、地獄に行っていつまでも苦しむほかしかたありません。
 しかし、ある人たちは、ちゃんと神さまを信じておりますけれども、また、罪のゆるしをうけておりますが、罪のつぐのいをじゅうぶんはたしておりません。死ぬとき、その罪のつぐのいが終わっていませんなら、そういう方は、しばらくの間、煉獄という場所にとどまることになっています。煉獄は一時的の苦しい場所です。罪のつぐのいをはたすまで霊魂のとどまるところです。
 ですから、もし私どもは、亡くなった方のために祈りましたら、また、じぶんの苦しみを、その亡くなった方の罪のつぐのいのためにささげましたら、その亡くなったかたの霊魂は、早く煉獄から出られ、それから天国にまいられます。

 また、ある人は、長年間その苦しい場所にとどまるでしょう。なん百年間そこにいないともかぎりません。ですから、わたしどもは、いつも亡くなったかたの霊魂の安楽を祈る必要がございます。とくに、じぶんの愛すべき亡くなった親、あるいは兄弟、友人、親せきの霊魂の安楽を祈る必要がございます。
 日本人は、ずっとご先祖の霊魂を大事にしておられまして、だれかが亡くなりましたら必ず、そのご霊魂の安らぎのために祈ります。これは、ひじょうによい習慣です。全世界のカトリック教会の信者も、そういうことをしております。先祖を大切にしないとそれはいけないことです。ご先祖は、私どもの大恩人ですから、ご先祖をそまつにする人は、やはり神さまにしたがわない人です。
 また、ご先祖をうやまないながら、先祖の先祖の一番の先祖、すなわち神さまを礼拝しなければなりません。神さまは、すべてのものをおつくりになって、すべての人間、私どもの一番の親、人祖をおつくりになりました。ある人は、ただ先祖だけ敬いましたらそれでけっこうだと思っていますが、それはたりません。一番大切なのは、ご先祖をおつくりになったかたです。すなわち、神さまです。

 

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