神さまのお話  (8)

天国のキリストとマリアと洗礼者ヨハネ  神さまは、天国のおわりなき幸福を得させるために、わざわざ私どもに生命をお与えになりました。また、私どもの霊魂ばかりでなく、私どもの肉体までも、イエズス・キリストさまのおことばによれば、必ず世の終わりに生きかえって、そして、もとの魂と合わせられて、自分の霊魂ばかりでなく、自分の肉体までも神さまの美しい天国に行くことになっています。
 ちょうど、イエズスさまが復活なさった時、その暗い墓穴から出られたように、私ども人間は皆、世の終わりにあたって、必ずお墓からよみがえります。善人も悪人も誰かれの差別なく、イエズス・キリストさまの御前で、さばきをうけることになっています。そして善人は、ちょうどイエズスさまがご復活なさったような美しい肉体で、また、美しい霊魂で、イエズスさまの右の方に立ち、最後の審判が終わりましたら、イエズスさまと共に天に行って、いつまでも楽しく暮らすことができます。
 天国は非常に長いです。地獄も長いです。天国と地獄とは、ただ百年間あるいは百万年ばかりでなく、いつまでもいつまでもつづきます。私どもの生命は、ひじょうに短いものです。死んでからの永遠の世界と比べましたら、私どもの生命は一分間よりも短くみえます。しかし短くても、私どもの生命は最も大切です。失敗したら、それは取り返しのつかぬことになります。やり直すことは絶対にできません。
 死ぬときが一番大切な時です。死ぬ時に、もし神さまに背いているなら、いつまでも神さまにそむいたままです。私どもの魂はちょうどセメントのようなものです。セメントが一旦、固くなった以上、そのかたちをかえることはできません。私どものの霊魂も、もし死ぬときに神さまにそむいて、そして、その悪にかたまっているなら、いつまでたっても、その形をかえることができません。ここにいるあいだは、私どもは、自由意志をそなえております。今では、善も悪もおこなうことができます。しかし死んでからは、もし死ぬときに神さまにそむいている人だったら、いつまでたっても神さまにそむいたままです。改心することはできません。もう自由意志を失ってしまいましたから。
 また、天国に入ったかたも、天国ではけっして神さまにそむくことはありません。天国にはいりましたから、私どもは、苦しむことは絶対ありません。お腹のすくこともありません。のどのかわくこともありませんし、心配も、病気にかかることも、そういうことはぜったいありません。かならず満足します。天国は私どもの想像以上です。私も、みなさんも、ずいぶんぜいたくな家を見たことがあるでしょう。しかし、天国の一番ひくいところも、この世の一番ぜいたくなところよりも、はるかにまさるところでしょう。
 イエズス・キリストさまのことばによれば、天国には、いろいろの段階がございます。ある人は、この地上においてよほど神さまのためになんぎくろうしました。ずーっと長年間、信仰生活をして、そしてくろうして、ながらく病気でくるしんで、一つも不平を言わないで、ずーっとその苦しみを神さまにおささげになって、じぶんのおかした罪のつぐのいのためばかりでなく、周囲の人のため、全世界の人のおかした罪のつぐのいのために、その病気の苦しみをたえしのばれた人もたくさんおります。イエズスさまもやはり、そういうお方でした。

 イエズスさまは、じぶんではすこしも罪をおかしませんでした。お母さまのマリアさまもそうでした。また、たくさんな聖人たちも、大罪をおかさなかったのに、よほどここでくるしい生活をなさいました。くるしみをあまんじて忍ぶ人は、けっして損をしておりません。その苦しみによって、天国のてがらが立つのです。ここで苦しめば苦しむほど来世において天国の高い席にまいります。
 そのために、キリストのしっかりした信者なら、苦しいときには不平をいいません。むしろ、ますます神さまに感謝いたします。苦しみは来世の幸福のもととなります。楽しみの種となります。
 また、私どもの苦しみは、そんなに長くつづきません。百才まで生きながらえた人でも、死んでからの永遠の幸福とくらべましたら、その百年間はほんとうに短いものです。ですから、私どもはできるだけ、ここで忍耐によって、すこし気にいらないことがあっても、つらいことがあっても、不平をいわないで、むしろ神さまに感謝しなければなりません。この世の苦しみは長くつづきませんから。
 また、他人を己のごとく愛する必要がございます。キリストのみ教えをしらべましたら、愛にもとづいています。神さまをなによりも愛し、他人を己のごとく愛さなければならないのです。神さまを万事にこえて、何物よりも愛さなければなりません。
 ある人たちは、もし、キリスト教の洗礼をうけたら、じぶんの親戚からへんにおもわれるからと思って、あるいは、じぶんの友人たちからへんにおもわれると思って、なかなか洗礼をのぞまない人がおります。そういう人はもちろん、愛徳に欠いています。ほんとうに神さまを親せきよりも愛する人でなければ、なかなか神さまの国に入るしかくががざいません。神さまは一番です。二番ではありません。神さまをじぶんの命よりも愛さなければなりません。
 日本におきましては、どれほど多くの信者が神様をすてなかったため、神さまのみ教えをすてなかったため、生命をうばわれましたかわかりません。ほんとうにたくさんな人が、この国において殉教なさいました。世界のキリスト教の歴史をしらべましたら、千三百万人あまりの人が、イエズス・キリストさまのみ教えをすてるよりも、じぶんのいのちをすてました。たいしたものです。  ある人たちは殺されました。しかし、ある人たちは、キリストの洗礼をうけているから、キリストのみ教えをすてないから、ずっと迫害されて、そしてしまいには老衰で、あるいは病気で亡くなった方もおりました。けれども、千三百万人はイエズス・キリストのみ教えのために、じぶんの血をながしました。そういう人は、もちろん天国の上席につくのです。

 

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